薬害訴訟の歴史とは?C型肝炎やエイズなど。
ツイート医薬品からは効能が得られる反面、副作用といわれる不快な作用が働くことがあります。過去には、歴史に残るような多数の副作用が発生したことがあり、社会問題や訴訟問題に発展したこともあります。
現在では新薬が開発されると、前臨床試験、臨床試験、市販後調査が徹底され、薬の投与や処方には医療側によるインフォームド・コンセントが求められています。しかし、かつてはこのような仕組みが整っていなかったために、安全性が実証されないまま薬が投与され、健康を害する薬害被害を受けた患者が数多くいました。
戦後では1956年、歯科治療の最中にペニシリン注射によるアナフィラキシーショックで、東京大学の教授が死亡する事故がありました。著名な人物が亡くなったことで、ペニシリンのアレルギー反応に注目が集まり、その後の投与が慎重になされるようになりました。
サリドマイド寡は、妊娠中の胎児に被害が及んだ点で悲劇的な惨事として記憶に新しいです。鎮痛・催眠剤のサリドマイド剤(ドイツで開発)はアメリカでは胎児への影響を危ぶんで販売に踏み切らなかったにもかかわらず、日本では臨床試験も不十分なまま販売されたのです。服用した妊婦からは奇形をもった子供が生まれ、当時の厚生省と製造会社だった大日本製薬を相手取った訴訟問題に発展しました。
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50年代後半から70年代にかけて、整腸剤キノホルムによる副作用、スモン病が問題となりました。全国で一万人を超える被害者が脊髄・神経の障害、四肢の麻痺や下血など重症となりました。
これらキノホルムやサリドマイドは、当時の厚生省による包括建議(薬剤の申請許可を中央薬事審議会でなく、事務局で許可できる承認制度)という安易な許可制度のもと販売されたのでした。スモン病の損害賠償請求訴訟は33もの地方裁判所および8の高等裁判所で行われました。
国に求められる薬害を根絶する施策
サリドマイド禍、キノホルム訴訟と相次ぐ重大な薬害が起きたにもかかわらず、80年代になると、血友病患者が非加熱血液製剤を投与されたことにより、エイズを発症するという悲劇が起きました。被告である旧ミドリ十字社の当時の社長らが実刑判決を受けています。
また、69年〜94年の間に血液製剤の投与を受け、C型肝炎を発症する薬害事故も、国と製薬会社を相手取り訴訟を起こしましたが、08年には国と原告側が和解するに至りました。薬害肝炎被害者救済の法律が制定され、肝炎対策基本法も09年に制定されました。当時200人を超していた被害者以外にも潜在患者がいると見られ、和解後もすべてが解決したとはいえません。
感染症ワクチンの副作用も広い意味では、薬害といえます。日本脳炎、百日咳、麻疹などの予防接種では、接種した子供が脳炎を発症したことがあります。生ワクチンを接種するポリオでは、少ない確率でしたが、小児麻痺を発症しました。それを受けて現在では、ポリオは不活性化ワクチンに切りかえられました。今後も新しい疾患に対するワクチンの開発、接種には副作用の問題がつきまとうものと見られます。
近年の健康ブームに乗って、サプリメントや漢方薬による内臓疾患、呼吸器障害の症例も報告されています。薬害は人が開発した薬剤やその用法が間違っているために起きる事故ですから、医薬品業界全体でこれをなくすべく努力とこれを監視する国の政策が必要とされるでしょう。
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