東西の医薬品メーカーの違いとは?

東西の医薬品メーカーの違いとは?

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医薬品開発は、現在では先端科学技術を代表する分野のひとつですが、もともとは草木に薬効を見出したことからはじまりました。それらは、薬草と呼ばれ病気や怪我の治療薬として大切にされてきました。日本の医薬品メーカーの中には、薬草で商売をしていた薬種問屋から転身した企業もあります。

 

東西の医薬品メーカーの違いとは?

 

日本の医薬品産業のルーツは、大阪の道修町に集まった薬問屋ともいわれています。ここでは、国産の和漢薬や中国から運ばれてきた薬が売買され、江戸時代になって全国に広がったとされています。

 

これらの薬問屋の中で、自ら薬を作り出す業者が現れるのは明治時代で、1781年創業の武田薬品工業、1678年創業の田辺製薬などです。この2社は本社ビルが現在も道修町にあります。大日本住友製薬や、塩野義製薬も同様に道修町に本社をおいています。

 

一方、近代以降創業のメーカー各社(例えば中外製薬、大正製薬、アステラス、エーザイなど)は、東京に本社を構えています。明治後期には、ヨーロッパから薬学が輸入され、新薬開発が盛んに行われました。この頃開業した三共(現第一三共)は消化酵素であるタカヂアスターゼを開発し、第一製薬は駆梅剤(梅毒治療薬)であるネオネオアーセミンの開発でスタートしました。

 

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兼業から専業へ転換する協和発酵

 

現在の医薬品メーカーの中には、元々別の業態として持っていた知識や技術を応用して医薬品製造を始めた企業があります。協和発酵が代表的な例で、酒造・食品メーカーだった同社は60年代では、蒸留酒業界国内売上第2位でしたが、この発酵技術を武器に、実は創業時から製薬開発にも熱心でした。

 

2002年、酒類事業はアサヒビールに売却し、医薬品事業を拡大するために08年にはキリンファーマと合併して協和発酵キリンとなりました。その後2011年売上高2293億円の国内14位(外資企業を除くと10位)の規模に成長しました。

 

 

他にも繊維業の帝人、製菓業の明治製菓も医薬品部門が年間1000億円超の売上高となり、医薬品メーカーとしては準大手の規模です。ヤクルトは乳酸菌発酵技術を応用し、がん治療薬やバイオ医薬品を開発し、味の素はアミノ酸合成技術を使って生活習慣病に関する薬や輸液を製造しています。

 

遺伝子解析やバイオテクノロジーの進歩発展により、今後も他業界の企業がその技術を応用して医薬品業界に参入してくることが予想されます。




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